K.S.さま(50代, 女性, 受付事務)

<#10セッション後〜その (2)>

 

(10シリーズ終了から2ヶ月後)

 

今週に入ってから、ちょっと面白い発見がありました。立っている時も歩いている時も、どうも私は前のめりになっているのが気になっていました。それでいて、ウルトラマンのカラータイマーのあたりから、前に真っ直ぐ伸びるラインを意識すると、極端な話、下半身は前のめりで、腰から上を不自然に反らせることになっていたのだと思います。

 

よく指摘された、「いつもの半分の力で歩いて」とか、「少し長めにかかとに体重を残す気持ちで」とか、「かかとの後ろにスケートのブレードがあるつもりで」「毛皮で縁取られたビロードの長いマントを引きずるように」というのは、たぶんどれも同じことを感覚させようという意図があったのでしょう(ですよね?)。

 

それらのアドバイスがどうしてもピンとこなかったのですが、先日、急に「こういうことだったのかな」とわかった気がしました。つまり「背中を誰かに押してもらう」感じ。誰かが背中に手を当てて支えてくれている、そして軽く押し出してくれている、そういうつもりで、その手を感じるように身体の裏側に意識を向けてみる。

 

こうすると、前のめり感がなくなり、胸が自然に開くのがわかりました。身体って不思議。言葉も不思議。「背中をささえてくれる誰かの手」という表現を思いついたら、身体の在り方が一気に変わりました。「王冠と貂の毛皮で縁取られた赤い天鵞絨のマント」というのも、かなり気に入った表現だったんですけれどね。実生活とあまりにかけ離れていましたかね。残念なことに、庶民ですから。

 

この「誰かの手」には、昔とても助けられた実体験があります。

 

30年以上まえになりますが、書店の売り場で働いていたことがあります。ある日、生理痛がひどくて立っていられなくなり、上司が付き添ってくれて、同じビルに入ってる診療所に向かいました。この時、彼女(上司)は、片手で私の腕を支え、もう一方の手を私の背中に当てて、私の横について一緒に歩いてくれたのです。

 

こうして背中に感じるほんのちょっとした推進力で、立っていられないほどの状態だったのに、驚くほど楽に移動することができました。もしかしたら、これまでの人生で一番楽に歩けた日だったかもしれません。

 

その上司は20年ほど前に、まだ40代の若さで白血病で亡くなっています。お盆が近いからでしょうか、突然あの日の彼女の手を思い出しました。頭も、上はカッパのお皿。身体の裏側はあの人の手。と、センサーの種を1つずつ見つけていくのも楽しみです。

 

さらに本日思ったのですが、カッコ良く速くグングン歩くコツは、「アクセルを踏むこと」じゃなくて、「ブレーキをかけないこと」なのではないでしょうか。たぶん、前傾姿勢は、自分では力強く前進しているつもりでも、実際にはブレーキがかかっている状態なんだと思います。

 

敢えてアクセルを踏んで疲れなくても、ブレーキを止めればいい。ということに、何故か突然思い至ったのでした。

 

<#10セッション後〜その (1)>

 

(10シリーズ終了から3週間後)

 

写真(ロルファー注:before / after のお写真です)が添付されたメールを受信しました。ありがとうございました。ご指摘通り、セッション終了後の写真では、左の腰の位置が上がっているというのはわかりましたが、左膝の向きが変わっているのはよくわかりませんでした。

 

ロルフィングを受けて、自分ではけっこうな変化があったように思うのですが、写真で比べてみると意外と変わっていないなあというのが、素直な感想です。逆に言えば、素人目には気付かないほどの小さな変化が、実際の身体運用では大きな違いとなって顕れるということですね。これは、とても興味深い発見でした。

 

(ロルファー注:K.S.さまのように、元々身体のアラインメントが整っていらっしゃる方の場合、静止時の見かけ上はわかりにくいのですが、内的な姿勢保持の仕方や、それに伴った動きの質が変わることが多いです)

 

10シリーズを終えて実感できた一番大きな変化は、「息を吸うことと立つことが上手になった」というものです。ゆったりと大きく息を吸うことができるようになりました。どこにも無理な力をかけずに自然に立つコツがわかった気がします。

 

そんなふうにして、力まずにただ立って息をしていると、それが「休む」ことになっていることにも気がつきました。「あ、ちょっとおかしいぞ」と思ったら、いつでも自分にとって快適な状態に調整できる自信が持てました。いえ、それ以前に、「おかしいぞ」と気づけるんだという、自分の身体感覚への信頼感が生まれました。今、「私の身体感覚」株というのがあれば、これかなり信用度の高い銘柄です。

 

いつも感じていた頭、首、肩の重さが、今では殆んど気になりません。手足も胴体部分も伸びやかに感じられます。また、身体の中が広々としています。それから、顔からも余計な力が抜けている感じがします。そして、最後の写真を撮った時よりも、今はさらに伸び伸び広々の度合いが増しているようです。

 

このあとも暫く変化が続くのだとしたら、身体ってなんて面白いのでしょう。「この身体で生きていく」という人生の楽しみがひとつ増えました。この先の自分になんだかワクワクしています。

 

<#9セッション後>

 

セッションの後は、「歩くのがこんなに楽なものだとは」と、驚きながら駅まですいすい移動していけました。身体が伸び伸び広々と使えている実感がありました。このままずっと、伸び伸び広々広々と、不動産の広告文句のような状態が続けば良いなあと期待していますが、なかなかそううまくはいかないのでしょうね。でも身体が「伸びたい」「広がりたい」と言っている時には、その声に早めに気づけるようになりたいと思います。

 

<#8セッション後>

 

今、左の腰のあたりが重く感じられます。この感じをじっくり観察してみようと思います。

 

実は、踵のほかにもうひとつ、膝についても思うところがありました。これまでは、膝をまっすぐに伸ばしたスマートな歩き方を身に付けたいと考えていました。ところが、昨日唐突に「膝は常に、かるく曲げていた方が動かしやすいんじゃないか。戦闘体勢として正しいのではないか」と、思い至りました。今日、何度か「膝は伸ばしきらないで、少し曲げて」と言われて「そうそう、そうしたいんだ」と納得できました。次回のセッションまで、膝の骨を使って足を前に出す歩き方を試してみます。

 

それから身体の左側の知覚ですね。いつもはどう感じているのか、よく観察することにしましょう。

 

(セッションから数日後)

 

右足付け根まわりがどうにも痛いのですが、次回のセッションを早めていただくことは可能でしょうか?身体が変わろうとしているんだなあと思って、様子を見つつ、痛みがおさまるのを待っているのですが、なかなか落ち着いてくれません。

 

今朝は痛みがだいぶ軽減していたので喜んでいたら、半日座り仕事をしてお昼休みに外に出たら、右足を引きずるほど痛くなっていて、がっかりというか、びっくりです。

 

右足付け根まわりの痛みは、セッションの3日後くらいからだったと思います。セッション当日の夜、重たいと感じた左の腰が、翌日朝には腰全体が痛くて屈むのが苦痛になっていました。でもそれは徐々に薄れて、さらに次の日には普通に動けるようになりました。そのあたりまでは、歩くのは問題なくできていました。

 

腰が楽になるのと入れ替えに、右足付け根まわりの痛みが辛くなってきました。刺すような鋭い痛みでも、焼けるような痛みでもありません。でも、鈍い痛みというよりも、もっとはっきりした痛さがあります。

 

何となく、ごまかしながら歩いていたのですが、今日のお昼には足を上げるのがけっこう辛くなりました。自分の足がどこから動いているか、どう動いているかを観察するより、とにかく動かせるやり方で動かして移動した、という感じです。

 

但し、昼食後に職場に戻る時には、鈍い痛みはあるもののだいぶ楽に歩けるようになっていました。酷く痛んだり、かなり楽になったり、全くもって自分の身体がどうしたいのかがわかりません。

 

左の腰には、じわーっという痛みが続いています。屈むと痛くなるのだと思っていましたが、場合によっては普通に座っているときも痛みを感じることがあるのに気づきました。そして特に何もしなくても、いつの間にか痛みが軽くなっていたりします。でも基本的には常に重く、じわーっと痛い感じがあります。

 

でも肩まわりや頭はとても楽なんです。顔もすきっとしている気がしますし、そういうところは悪くない感じなんですよ。

 

昨夜のメールのやり取り前後に、身体の状態をなんとかうまく伝えたいと思って、痛い部分を触ってみたり、足踏みをしたり、家の中をうろうろ歩き回ったりしてみました。その様子を見ていた夫が一緒に考えてくれました。

 

「キリキリとかズキズキじゃないなら、ギシギシ?」

「あ、それ近いかも。突っ張るとか詰まるとかかなあ。」

 

「動きが悪いの?油をさせばいい感じ?」

「うーん、グイーッて伸ばしてもらいたい感じかな。」

 

そんなやり取りをしているうちに、どうも私の動かし方が、身体にとっては動きたくない方向とかやり方になっているような気がしてきました。それで抵抗しているような感じです。そんな風に思えたら、何か納得したのか(私の気持ちが?それとも身体が?)、かなり楽になりました。

 

<#7セッション後>

 

今日は歩くときに右足の付け根、内側が痛みました。なんでしょう。どこかが良くなると、別のどこかが痛みだす。引き出しをひとつ閉めると、別の引き出しが出てくる、困った箪笥のようです。

 

さて、痛いところがあるときは、いつもと違った動きを試すチャンスですよね。さっそく、歩くときの足の出し方をいろいろ試してみました。

 

そこで行き着いた結論は、足を前ではなく横に出せば痛くないということ。つまりは、欽ちゃん走り!痛みのない歩き方、素晴らしい発見です。ありがとう、萩本欽一さん。しかしながら、天下の往来で「欽ちゃん走り」をするのはいかがなものでしょう。「いい大人が何をふざけて」と呆れられるか、「急に暑くなったからねえ」と憐れまれるのがオチです。最悪、通報される危険もあります。

 

なんだかひどくがっかりです。役に立たない発見ほど切ないものはありません。さて、明日になったら、私の身体はどうなっているのでしょう。どんな変化が、何が起こるのか、楽しみです。

 

<#6セッション後>

 

歩き方のご指導もありがとうございます。膝から下には二本の骨があって、その骨の間を風が通るのを感じるつもりで。かかとの後ろにスケートのブレードがある気持ちで。足の付け根は胸のあたりだと思って。それから、力は通常の半分にして。あれこれ試してみます。

 

<#5セッション後>

 

身体を膨らませる感覚が面白くて、暇を見つけては目を閉じて、頭、胸、お腹を膨らませて楽しんでいます。

脳や心臓、肺、腸がゆったりと動いてくれるといいなあと思いながら。

 

<#4セッション後>

 

昨日は、ぐったりして、午後はずっとダラダラ横になっていました。今日は元気に活動しています。歩くのがどうにも難しく感じられます。ただ歩くだけというのも奥が深いものですね。

 

<#3セッション後>

 

帰りの電車で息を吸うときに、座席の背もたれを押している感覚がありました。肺がしっかりと背中側にも広がっているようです。

 

<#2セッション後>

 

今回の一番のびっくりは、「うつ伏せ寝のコツ」でした。これから練習してみます。目下、晩御飯の寛ぎタイム。「座骨で座る」をお試し中です。

 

<#1セッション後>

 

普段は、いかに自分の身体を意識していないかに気付かされました。今は身体の状態を感じながら息をすること、ただ立っていることがとても面白くてたまりません。次回まで、この身体の観察をじっくり楽しんでみます。